|
雑記帳
進化する動物病院(その3)
1999年4月13日
その頃の私自身といえば、子供のころからの夢は獣医師になることだった。
たまたま親の意向で日大の付属に中学から入れられ、すでに大学は日大とコースだけは決まっていた。その日大という選択肢の中にうまいことに農獣医学部があり、しかも校舎は世田谷の三軒茶屋にあった。これは自宅から下宿をせずに通える距離であったのも幸いだったし、通学の途中、渋谷はもちろん新宿でもよく遊べたことが学生としては幸せだったのかもしれない。
当時は獣医大学を目指す人は少なく、意外と簡単に入学できた。そして校舎もまだ木造の建物が多く、大学の動物病院もその例外ではなく、もちろん木造でお粗末なものであった。
授業は畜産という立場が中心で、扱う動物は牛をメインだった。犬はもちろん家畜として仕事をしない猫などは授業にお目見えしない。
私は、大学に入る前から犬猫病院を開業したいという夢を持っていたので、入学してから担任の教授に我が遠大なる『夢』を話すと「犬猫の医者なんてどの会社へも勤めることができない出来の悪いものがなるのだ」と馬鹿にされたものであった。今にして思えば、確かに私は出来が悪くかったので、お前のような出来の悪い生徒にはふさわしい進路だと教授が思ったのかもしれない。
そんな中でも考えていたことが、開業すれば臨床は嫌と言う程できるので、大学では、学生でなくてはできないことを学んでおく必要があるという事だった。
そこで専門課程に入って伝染病の研究室に入室した。そのころの伝染病の研究室は別名『第二病院』とよばれ、細菌学、ウイルス学、そして臨床病理学を行っていた。研究室に入ってからは、盆も正月もなく、毎日が終電車に間に合うか間に合わないかのぎりぎりまで研究室にこもっていた。このころに培った細菌学的な考え方がいまだに役に立っている部分がある。

|