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雑記帳
時代の変革と動物病院経営
2006年10月31日
家畜病院
我が家の犬が、元気がなくなり何も食べなくなったりすると、よく家畜病院につれていった。昭和28年ごろのことであった。そのころは東京でも家畜病院の数は少なく、かかりつけの獣医さんが休みであると、遠くまでつれていかなければならなかった。もちろん自家用車など無い時代であったので、具合の悪い犬を連れて歩いて遠くまで行くことは大変であった。
昭和28年頃というと、狂犬病がまだ日本に発生しており、野良犬や首輪をつけずにうろうろしている犬を見たら、追いかけられないようによけて通っていた。子供心にも、狂犬病はこわいと思っていた。我が家の犬がこの怖い狂犬病にならないように狂犬病ワクチンを年に2回、春と秋に、注射会場行く、または獣医さんに往診してもらい接種していた。そのころの狂犬病予防注射料は、床屋さんと同じ料金であった。戦後の混乱から次第に復興してきていたとはいえ、まだまだ人間自体が生きていくのに懸命になっていた時代であった。
我が家は、当時犬屋さんから子犬を買ってきたがそのほとんどが鼻をたらし、下痢をしていて、ジステンパーや寄生虫病であった。現在は犬屋さんという呼び名がペットショップやペットサロンとなり、犬の病気も格段に少なくなって店内の環境が清潔になった。そう、私が臨床を始めた頃は往診に行くと時々犬屋さんと呼ばれたものであった。
犬は3、4歳ぐらいになればフィラリア症になった。5才ぐらいが寿命で、7才といえば長生きの方だった。現在は15から18才の犬がざらにいる時代となったことは、恐ろしい感染症が防げ、医療の発達と早期発見、そして飼育方法やフードの変化が一因であろう。
私は子供のころからの夢は犬猫のお医者さんになることだった。たまたま日大の付属中学に入学し、すでに大学は日大とコースは決まっていた。その日大という選択肢の中に農獣医学部があり、しかも学部は世田谷の三軒茶屋にあった。これは自宅から下宿をせずに通える距離であったのも幸いした。当時の獣医学科は比較的簡単に入学できた。そして校舎もまだ木造の建物が多く、大学の家畜病院もその例外ではなく、もちろん木造であった。授業は畜産が中心で、扱う動物は牛であり、犬はもちろん家畜として仕事をしない猫は授業にお目見えしなかった。
私は入学してから担任の教授に我が遠大なる『犬猫病院の夢』を話した。それは、地下1階、地上4階建ての動物病院構想であった。すると教授は「犬猫の医者はどの会社へも勤めることができない者がなる。まして家畜病院が地下1階、地上4階建てはありえないだろう」といわれた。研究室は伝染病に入室した。そのころの伝染病研究室は別名『第二病院』とよばれ、細菌学、ウイルス学、そして臨床病理学を行っていた。
開業と勉強
大学を昭和41年に卒業し、北川家畜病院で2年の約束で代診をした。その後、品川区で開業をしたが、抗生剤はペニシリンやストレプトマイシン、それにクロロマイセチンくらいを持っていればよかった。脱水があればリンゲルにビタミン剤を入れて皮下注射した。ジステンパーなどの感染症も多く、腸内寄生虫とフィラリアが病気の主流を成し、フィラリア症による“咳”が止められれば名医であった。こんな時代で解らない病気だらけであったことから“正直と勤勉の心”を経営のテーマにした。
開業して間なしにアメリカの獣医大学の見学のチャンスがあった。それは日本との違いに腰を抜かすほどであった。またロスアンゼルスの動物病院の小規模から総合病院まで10数件ほど選び見学に行った。こんな中で考えたことは、一人と複数の獣医師がいる大きな病院ではその技術差が大きかった。そのころは日本の動物病院の多くは採算を度外視した設備を取り入れる努力していたことから、臨床技術の一部では差ほどに時間がかからずアメリカに追いつくことが出来ると私は思っていた。
また、フィラリア症がほとんどといってよい時代であったことが、日本の臨床獣医師たちの学問の発展に大きく貢献をしていた。まだアメリカの学問が我々開業者の手元にはなく、何とかしなくてはならないと思う使命感のようなものが芽生え、小動物臨床研究会が盛んに開催されていた。私も暗中模索の工夫と研究に必死であった。私たちグループはフィラリアの摘出手術の研究に取り組み、血行遮断をして犬糸状虫を摘出する試みをしながら、気泡型の人口肺を作り、人工心臓としてローラーポンプを回して盛んに心臓切開手術をしていた。そのころアメリカ獣医学が入り始め心臓を診るためのレントゲン画像の勉強を始めた。これにより全波整流型の出力300ミリのレントゲンを使用するようになった。また心電図の勉強、そして、超音波エコーができ、アロカSSD110、Mモードタイプを購入し心臓機能の診断に力を注いだ。そして心臓ペースメーカーの埋め込みなども採算を度外視して技術の向上を目指した。しかし技術的なレベルの上昇と共に経営の必要性を痛感した。私は開業して早くから獣医師を雇っていたので経営のことを考え病院内に基準やマニュアル、しいては法律(就業規則)が必要であることに気が付いた。
動物病院と理念
経営において理念がスタッフに浸透・徹底・実践されたことが、院内、院外を問わず行動指針になった。更に、組織の隅々にまで経営理念が浸透することでスタッフの人格を磨く力にもなり、組織の力が同一方向を向いて進んでいくことができた。経営理念の浸透は簡単にできたのではなく、まさに、繰り返し同じことを言い続けることで浸透した。
経営理念は“真のホズミの森を作ろう”であり、「未来に残す森を目指して」をテーマとしている。それはモリには森、守、盛(古墳など)、鎮守の杜などを含めモリと言う字には、多くの木が茂っており神様と関係がある神聖な場所が想像できる。森の中では樹木は激しい生存競争が展開されているが、反面お互い助け合って、様々な生物を育み守る力がある。小鳥が巣作りをし、動物達が住む「ほこら」がある。豊かな木の実も豊富にあり、落葉樹の中に住む虫達も元気がいい。小動物たちがかけずり回り、排尿排便をし、またその死骸がある。命つきた生命のその油や血、そして筋肉の栄養分を大地が吸う。その結果非常に健康な強いエネルギーを持った木が天をつくようにのびると想像できる。しかし、秋に木の実が数多く大地めがけて落ちるが、その実全てが芽を出し育つものではない。必要があるものは育ち、そうでないものはそのまま淘汰される。様々な野生動物や野鳥、昆虫などの生命を保護し育てている。したがって森は多種多様な動植物の生活圏である。名も知らない木や草、小さいスミレの花も個性を発揮し自分の美しさを表現している。この原理は全て太陽や周りの自然の理にかなった環境で決定される。
この天から与えられた森の社会生活を動物病院経営理念にしている。森となった動物病院には、そこには神様がいることを信じ多くの信者が集まってくる。では、森の神さまはだれか?神さまは目に見えないものであり、感じるものである。従ってそれはそこに漂う“気”であり、いろいろのエネルギーや活力が発せられると、これを神様が信者に発する信号に変えるという理念である。
これからの動物病院の役割は、「動物の体の修理工場」から「全てに対しての癒しの環境」へ変化しなくてはならない。動物病院は、機能的な動物医療施設の実現を目指すあまり、ときに「修理工場」となってしまう。修理工場だから、検査をして悪い部分を治して病院から出ていく。しかし、それはあくまでも物理的な動物の体に限った治療で、クライアントの心理的な側面まで及んでいない。動物医療水準は上がり、治らなかった病気も治るようになった。しかし、私たちは、そこを訪れただけで、クライアントの心が明るくなり、動物の病気も自然治癒力を高めるような空間、つまり「癒しの環境」になることが大切である。
Pet
Clinicアニホスの名前は、アニはAnimate(生命)、Animation、(命をあたえる)など生命との関わり。さらに、ホスは、Hospitality(親切なもてなし)、Hospitable(手厚くもてなす)といった意味が込められ、一貫したコンセプト“命に対する真剣な対話と心のこもったふれあいを”を意味している。ロゴマークは、“未来に残す森を目指して”の中で、山村穂積は「森の中の一本の木になるよりも、木や花を育てる土壌になりたい」と常に思っていることから、落ち葉に犬の足マークで、スタッフが成長とともに落とした落ち葉が踏みつけられ、やがていい土壌となり、さらにスタッフが豊かに成長出来るように願ったもので、その結果、クライアントや動物たちにより多くの先端情報や治療が提供できるようになったと考えている。
動物病院経営はスタッフの素直な心とやる気により変化すると共に、経営理念をしっかりと身に着けることが重要であった。
高度医療か町医者かの選択
子供の頃になりたかった夢は犬猫病院の先生で町医者である。その町医者はクライアントを確保する必要があるので一生懸命に勉強をし、サービスや採算を考えなくてはならない個人営業である。病院が大きくなると高度医療の研究が必要なことは否定しないが、町医者といえどもエコーを取ったり、内視鏡で調べたりと、検査の高度化が目ざましい。 Pet
Clinic アニホスは、地域密着型の町医者であると同時に、多人数の獣医師による利点を生かし、様々な症例に対応できることが喜びである。地域動物医療を“底辺”で支え、どんな時代になっても“Pet
Clinic(町医者)”の重要性は変わらない。そして動物臨床の総合医を育てること、そして一人ひとりに得意な科目をはぐくむことに専念すること、また地域医療という地味な分野に携わる“町医者”がうまく機能を発揮できなければ、大学病院は十分にその能力を発揮できなくなると考え、町医者の倫理観を失わないようにしている。
高度医療の将来
最近『高度医療』という言葉が頻繁に使われる様になり、それは、社会が求める動物医療で私たちがそうありたいと思う夢でもある。一台数千万円の医療機材なども扱うようになりつつある。これらの医療機材を駆使して動物の病気の診断、治療、手術なりをする事を高度医療ということは確かである。しかし、ともすると単なる工学(高額)医療で終わる危険性がある。 動物への高度医療をどのように考えるかは、まだ決まりは無いが、動物が高度医療を受けることによっていつの間にか元気になることであり、近未来には動物に負担をかけず病態を健康時の状態にできるようになることを考えている。いじくりまわしてようやく元気にするようでは、高額医療を駆使した低度医療となってしまう。高度先進動物医療を行っている動物病院は、高度な技術を持つ動物医療スタッフと専門医、そして、質・量ともに十分な施設・設備が必要である。これら社会が要求してきている医療に近いペット医療をさらに発展させ、動物病院に対する社会の期待がさらに変化してくるものである。
また、未来の獣医療としては、インターネットの発達から音声、画像、医療機器が常にインターネットに接続され、デジタル化が進み、三次元表示は当たり前で、ホログラムによる画像保存も考えられる。デジタルペーパーにより管理され、電子カルテを主にした情報開示など電子によるコミュニケーションがとられる。クライアントがデジタル情報を持ち、遠隔による画像診断、画像情報、そして総合健康管理や医療支援情報をもとに、かかりつけの動物病院に連絡をし、薬の処方をもらう。そして専門医のいる動物病院に手術など必要なことに対して予約をする。クライアントはウエブ上の動物病院としてワイヤレスドクターを抱え、かかりつけの動物病院として薬をもらうカプセルドクター、そして専門科目を持つスペシャルドクターを持つことになり、飼い主自身がペットのカルテを自己管理し、健康管理と獣医療とを分けているかもしれない。携帯電話やテレビ、パソコンなどがネットワークで有機的に結びつき、人口知能を持ったロボットや生態認証などがネットワーク機能を持って生活の中に入り込んでくることが予想されるが、その機能をどのように動物病院として活用するかが課題と考えている。たとえばアイボに代表される犬型ロボットが知能ロボットに発達し人の愛が移行する。動物病院は、携帯電話を利用し、知能ロボットからの映像や情報を受け、ウイルス感染を防ぐワクチンを移行させるなど、ロボットの病気は動物(ロボット)病院で受け、怖いウイルス病に感染した場合など治療し削除するようになるかも知れないので、デジタル技術やナノ技術が動物病院の差になることも想像される。

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