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雑記帳
動物病院と森(II)
2004年3月31日
森の木には神秘的な不思議な力がある。例えば『森林浴』。ストレスを和らげて、心身ともにリフレッシュさせる。緑にあふれた森に入っていくとさわやかな空気が広がり、しばらく歩いていくとかすかな香りに気づく。夏の暑い日には、木陰にいると涼しく感じ、冬には暖かく感じる。太陽の熱をさえぎり、風の強さをおさえ、騒音を和らげ、その森の中にいると心身の疲れを癒し健康に役立つ。ではまた、古い昔に建てられたお寺や神社はなぜ3百年も6百年も持つのだろうか。それは神の宿る森の3百年もたっているような木が切られ、それらの木で創られた家や社に住むことは計り知れない活力を生み出すものと思う。神の宿る森はエネルギーを持ち計り知れない活力を持っていることを教えてくれる。従って神社仏閣を建てる際には神を宿す森の木を使用するのである。このような森の木で建築をすれば、3百年、6百年という生命力が保たれるといえる。林は、杉や檜だけの人造林であれば森で感じられるようなエネルギーは無い。たとえ林は森のように大きくても気力を失い去勢されていて元気がない。このような木から通常我々の家屋が建てられているが、このように林の木で家を建てることによって30年もすればがたがくる。それでは元気がないのは当たり前である。
森の中に住むために神の宿る森の木で自分の家を建てたいと思う人もいるだろう。これはみんながそのようにできるのならばそれもよいが、自分の欲望だけで森の木を切ることは自己満足と欲望と森を壊すだけの結果となる。これは神を共有する気持ちがない。森はひとつの社会を営ませる場所である。森が奏でるさわやかな風の音、葉のすれる音、森から奏でられる音楽はなんともいえない感情を掻き立て、草木の花や実が目を楽しませるときもある。楽器演奏で一人がいくらうまくても一人の演奏では限界がある。多くの色々の楽器奏者がいてそれをまとめる指揮者がいるとおくの深いすばらしい演奏になる。これと同じように、森はこれらの総てが社会生活の中での天から与えられた営みと思う。
この天から与えられた森の社会生活を理解し、動物病院に当てはめてみよう。まず神が宿さない動物病院は林である。いくら建物の見た目を良くしても、設備を良くしても、大きな入れ物の病院にしても神がいなければ林である。一時的に見た目がよいのでもてはやされてもいずれはだめになってしまう。一度大きな林にしてしまうと森にするには長い年月を要する。
森には神様が宿るということは、これらの神を信じる信者が必ず集まる。森となった動物病院には、そこには神様がいることを信じ多くの信者が集まってくる。信者が集まり、信者が多ければ多いほど自然と儲かるようになる。儲けは信者がいてから後からついてくるもの。信者と書いてこれを一緒にした字が儲けという字になることから後からつくことがわかる。今日の売り上げは、明日の動物病院を作るのではない、今日のクライアントさん(信者)が明日の売り上げを作る。森となった動物病院にはいつのまにか鎮守様が出来、その周りに住む人々により御神輿が作られる。森の神様が御神輿を作りかつげなどとは一言もいわない。信者達が御神輿を作り、かつぎ回り、囃子たて宣伝をしてくれるものなのだ。その結果、必然的に信者が森を大きくしてくれるものである。
この続きはまた次回にてお話します。

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