院内日誌
ニャートの脚
植田幹也(1998年8月16日)
始まりは病院にかかった一本の電話でした。ある昼下がり、いつも白いプードルを連れてこられている飼い主さんからの電話でした。「ケガをしている野良猫を保護したけれど、手がつけられないのですがどうしたら良いでしょうか。」まず頭に浮かんだのは、眼をらんらんと輝かせて牙をむきだした凶暴猫の姿でした。これはやっかいな事になったぞと思いましたが、しかし先方もお困りのことと思いさっそく往診に出かけました。 内心の不安を隠しつつ、通された部屋で見たものは、プードルと体を寄せあって寝ている可愛いキジ猫でした。お家の方は、その猫をニャートと呼んでいました。甘えて「ニャー」と鳴くその姿から名前の由来が想像できました。診ると脚がぶらぶらしています。人が手を触れるのを極端に嫌がるのが習いの野良猫にしては、用意に扱うことが出来ました。これは骨折のようです。病院に連れていきレントゲン検査をしなければなりません。 病院へ搬送し検査をすると、左足を骨折していることが判明しました。通常、骨折は内固定といって、手術によりチタン蒸着プレートかステンレスのプレートという丈夫な金属の板をねじ釘で骨に取り付け固定します。すると数日で脚を着いて静かに歩き始めます。しかしこの子は、野良猫です。手術は野良猫だからといって手を抜いたり、手術の材料を落としたり、麻酔を安い注射でするすることは出来ません。費用は、飼い猫と同じだけかかるのです。また、手術が終わって退院しても、退院後の世話が必要です。さっそく保護した方と相談しましたが、金銭的な面と先方の健康上の問題から、手術およびその後の自宅介護は無理との事でした。それも仕方のない話です。 しかし、実際に怪我をしているものを、骨折した状態で放っておく訳にはいきません。そこで出来るだけ費用が安くあがるようにギブス包帯をして骨がつながるまで病院で預かることにしました。しかしこれにもいろいろと問題があります。ギブス包帯は手術のように骨が曲がらないでまっすぐに治ることが難しく、それを出来るだけまっすぐさせるとギブスが締まり過ぎて足が腐ってしまう危険性もあります。そして本人(猫)も安静にもしてくれません。そこで色々手をくわえ、手造りの副木をあて経過をみました。しかしちょっと目を離すと自分で外してしまうので油断がなりませんでした。 そして1ヶ月半がたちました。その間、ニャートは愛きょうのある鳴声と仕草ですっかり病院内の人気者になっていました。経過を見るために、レントゲンを撮ってみました。骨は形が少しいびつなものの、がっしりと固まっていました。いよいよ、ニャートの入院生活も終わりが近づいてきた様です。この子は退院するとすぐに野に放たれることになるでしょう。これは拾い主との約束なのでしかたがありません。入院室は常に急患が運びこまれて満員状態です。公平を欠くような特別入院も長く続けられません。もうすぐニャートは自由かつ厳しい世界へと帰っていきます。それを知ってか知らずか、今日もニャートはケージの中で大きく伸びをしています。せっかく足が直ったのだから、元気に野良猫暮らしをしてもらいたい、それが拾い主さんとわれわれのせめてもの願いです。