院内日誌
Owner's loss of pets(飼い主を失った犬の悲しみ)
奈良なぎさ(2005年5月31日)
朝マメタロウと散歩をしていると向こうからどこか見覚えのあるキャバリアがお父さんと一緒にこちらに向かって歩いてきました。「マメちゃん、誰だっけ?ベルちゃんかな?」どうも違うらしくマメタロウはそ知らぬ顔で足元のにおいを物色中。「ベルちゃんですか?あっ、それともジャスミンちゃんだったかしら?」心の中では『ん~、どっちでもないな。この顔は.....』と思いながらもお父さんに話しかけると「あ~、ジャスミンちゃんはお友達で、この子はアトムです」「あ~、アトムちゃん! 久しぶり。元気だった?」そう話しかける私を横目でいぶかしげに見上げるその表情は、私の知ってるアトムちゃんとは違うものでした。「奥様はお元気ですか?ずっとお会いしていないから、どうされているのかと…..」「妻は昨年の8月に亡くなったんですよ。」私は思わず息を呑みました。「抗癌治療をやめてホスピスで好きなようにして暮らしていました。楽しそうでしたよ。亡くなる日の4日前まではまったく普通にしていました。
ただ、亡くなった後、この子が私について離れなくて大変でしたけど、もうかれこれ1年近くなるのでだいぶ慣れて、仕事へ行っている間は一人で留守番ができるようになったんですよ」
まだ、おそらく50代前半くらいのお父さんは現実を受け入れ、自分に言い聞かせるように話しているように感じました。私は涙を抑えるのが精一杯。彼女と散歩で出会ったのは2~3年前で、まだ抗癌治療を受ける前。とてもおだやかで優しい方で、アトムちゃんをのびのびと育てていらっしゃったのが印象的でした。そしてしばらくしてあったときは、抗癌剤の副作用で脱毛した毛が伸び始めた頃でした。そのときはとてもお元気そうでこのまま回復されるのだとばかり思っていたのに…..さっきまで目の前で息をしていた人が次の瞬間にはいき途絶えてしまう。その一秒にも満たない境界線を私も父が亡くなったときに経験しました。
「動物は現実を受け入れ、現実に生きることのできる強さをもった生き物である」と思っていましたが、アトムちゃんのその沈んだ表情はその考えをまったく覆すものでした。お母さんと一緒だったときのあの安心した、幸せそうで、純粋無垢な表情は、悲しみに打ちひしがれ日々時を過ごしているかのように一変していました。そしてまだ若かったと思いますがその歩く姿は老犬のようでした。
そういえば栄養カウンセリングでダイエットを希望されていたある日本犬も同様な感じでした。表情が暗いのでお父さんに伺ってみると、いつも一緒にいたお母さんがなくなったのをきっかけにあまり散歩に行きたがらなくなったそうです。
最近愛しいペットを亡くした飼い主の深い悲しみを癒す「ペットロス」を扱う団体が海外や日本でもあります。しかし、飼い主を亡くしたペットの悲しみを癒してくれる場所はどこにあるのでしょうか?また、そのペットとともに残された家族の悲しみを癒してくれる場所はどこにあるのでしょうか?現実を受け入れる能力のある動物にだって、耐え難い悲しみはあるはずです。まして人間と違って短い人生の中での出来事です。その衝撃の度合いは実は人間の比ではないかもしれません。彼らの心情を理解し、心の支えとなり、また残された飼い主をサポートしていくそんな場所があればいいと思う今日この頃です。あるいは、もし自分が愛するペットより先に命が亡くなることが現実であるならば、生きているうちに自分の気持ちや、その後のことをきちんと説明してあげるのも飼い主の役割のような気がしました。